本を買った。小川洋子さんの本がこんなにたくさん揃っていた書店は個人的に初めてで、嬉しかった。ここにきて「人気作家」の棚に移動したらしい。テンションが上がって、合計4冊も購入してしまった。
『みんなの図書室』(PHP文芸文庫)、『妖精が舞い下りる夜』(角川文庫)、『アンネ・フランクの日記』(角川文庫)、『物語の役割』(ちくまプリマー新書)。いずれも小川洋子著。気になったけど今回は見送ったという本もまだあり、お金さえあれば‥‥と思う。しかしあの店に行けばまた沢山の小川作品を吟味できると思うと、どこか安心できる気もする。
映画『関心領域』を観た。アウシュビッツ強制収容所のすぐ隣で暮らす一家を描いた映画(←最初は「物語」と書いたけど、フィクション性の強い言い方になるなと思いやめた。迷った結果、単に「映画」としてしまった)。
妻役のザンドラ・ヒュラーさん、『落下の解剖学』で知って気になっていたのだけど、やはりこういう役が上手だ。外はさっぱり、中はどろどろ。一見すると非常にグロテスクな存在で、鑑賞者の反対側にいる悪役のようにも感じられる。だけど恐らく彼女が、私たち観客にもっとも近いキャラクターなのだと思う。
杉井光『世界でいちばん透きとおった物語』(新潮文庫)を読んだ。面白かった。思いついたアイデアを作品にして世に出す、という営みの凄まじさをしみじみ感じた。
「ネタバレ厳禁!」という売り文句が乗っかった本に対して、なんとなく傾いた読み方になってしまうことを勿体なく感じる。夕木春央『方舟』(講談社)とか。「ネタバレ厳禁!」であることを知らないまま読めたらより良い体験になると思うのだけど、知らずに読むのは難しい。それっぽいミステリ小説をひたすら読めばそういう本にいつかは出会えるだろうが、それでは全ての本を変な姿勢で読むことになってしまうな。
これ以降は、日記を書いていなかった9月2~4日のトピックを簡単にまとめる。2日だけは下書きがあった。なぜ更新せず単に置いていたのかは謎。
9月2日。早起きして駅ビルへ出かけた。あるショップで買い物をすると限定のステッカーがもらえる、というキャンペーンが今日から始まっており、そのステッカーを手に入れるためだった。
自宅を出て最寄り駅へ向かう道中、歩道で何かの工事が行われていた。それに伴っていつもの歩道は通れなくなっており、車道へ少しはみ出した場所に、カラーコーンによって臨時の歩道が設けられていた。そこを通ろうとした瞬間、目の前で交通誘導をしていた警備員さんに声をかけられた。「自転車が‥‥」
振り返ると、私の後ろから青い自転車を漕ぐおじさんが接近してきていた。私は臨時の歩道に入る直前で足を止め、自転車を先に通した。
地下鉄に乗り、目当ての店に到着。前から気になっていた商品を購入し、ステッカーもゲットした。嬉しかった。ただ私の「LINE Payでお願いします」というモゴモゴとした発言は、店員さんに一度では届かなかった。このことだけが悲しく、また申し訳なかった。
小川洋子『約束された移動』(河出文庫)を読んだ。面白かった。藤野可織さんによる解説を読んで、自分もこんな風に小説を味わうことができたら楽しいだろうな、と思う。しかし「面白かった」というシンプルな一言であっても、私自身が抱いた大切な感想なのだから、無下にせず大切に抱いていようと思い直す。読んだ旨をBlueskyでポストしたら、河出書房の公式アカウントから「いいね」が来て嬉しかった。
9月3日。不要になったモバイルバッテリーを回収してもらうために役所へ。リサイクル回収窓口みたいな場所へ赴き、中にいた担当者の方に「すみませ~ん」と声をかけた。この声かけが、この日私が初めて発した言葉だった。起きてから初めて声帯を震わせたので力加減がわからず、小さめかつ変な声になってしまった。
近所のダイソーがセルフレジを導入していた。500円のミニラックを購入し、サイドテーブル代わりにベッド横に置いた。幅が細すぎて不安定なのが心配だったが、いちばん下の段に買い置きのペットボトルを並べると安定した。上段に読書灯代わりの間接照明を置くと、理想の環境が完成。通販で数千円のサイドテーブルを何種類かピックアップして検討していたが、私の暮らしには500円のラックで十分だった。
9月4日。何気なくひらいた星新一『さまざまな迷路』(新潮文庫)の巻末に、和田誠さんによる解説を発見。作品の魅力からおふたりの交流の模様まで、優しい書き口で詳細に綴られており、星作品の挿絵から和田さんを知った自分としてはかなり感慨深かった。原稿料のくだりが特に面白かった。
夜に友人と通話した。観た映画や読んだ本について話したり、日々の漠とした不安を漠としたまま吐露したり、面白いと思ったツイートを共有したりした。だいたいいつも通りのメニュー。こんな話を安心してできる相手に対して、およびそんな相手が存在しているという事実それ自体に対して、毎回新鮮に感謝している。